健康とはどう考えるか?どう生きるか?
東城百合子「食生活が人生を変える」より
---------------------------------
「現代医学ではもうお手上げというガン患者が自然療法で助かるなんて、うそでしょう」と言う人が大勢いますが、自然療法はいのちの源である自然に帰る道で、病気治しではありません。自然に帰る心を養うことで、生きかた、考えかたをかえた生活が、結果として病気を治すのです。
いのちは自然からのいただきもの。この体は少宇宙で、宇宙につながるエネルギーです。神経はすべての細胞を動かしています。そして、その神経は宇宙につながっているのです。
内臓にしても自分で動かしているわけではありません。心臓も肺も、すべて宇宙のいのちの根源とつながっているのです。私たちは、その無限の大いなる力によって支えられ、生かされています。
ですから、ある一面だけをとらえて病気を治そうとしても、病のもととなったゆがみ、宇宙のしくみに反した流れそのものを正さなければ、治ったことにはならないのです。
一方、現代医学は解剖からはじまった学問です。死んだ体の解剖ですから、そこにいのちはありません。それを細かく分析してバラバラにして発達してきたので、治療は一つひとつ違います。だから内科、婦人科、外科と細分化しています。そして出てきた病気という現象をとらえ、それを薬や手術、臓器移植などで治すのです。
それは枝葉として出てきた部分を何とかしようとするのであって、人間のいのちである根は考えていないのです。だから薬で攻撃し、手術や移植がだめならもうだめということになってしまうのです。
つまり、医学と自然療法は根底から考えかた、追究のしかたが違うのです。
だからと言って、医学はだめだと言っているのではありません。自然療法では間に合わなくて、手術や点滴で助かる人も大勢いますから大事だと思います。大事なことですが、病院と縁がないように日々の生活に気をつけ、いのちの流れを大切にして生きるのもひとつの道。これが自然療法です。
(中略)
健康になりたい、幸せになりたいと、人は願うものです。「ではその幸せや健康は根ですか?それとも出てきた枝葉ですか?」とたずねると、誰もが「根です」と答えます。
しかし、これは根ではなく葉なのです。「健康や幸せや自由や平和といった、人間が願うことがらは見えないいのちです。根から実って現象として出てきているのですから、枝葉です」と私が言うと、びっくりしています。
健康も幸せも不幸も病気も、枝に実った実なのです。この辺からすでに考えかたが違って、健康という願いばかり追いかけて根を枯らすから、不健康の実りばかり出てきてしまうのです。
体の健康ばかり追いかけても、毎日の生活が健康的でなければ実現しません。その生活とは先にもふれましたが、衣、食、住、人間関係です。ですから願いばかり先行しても、健康体に導く生活ができていなければ、願いとは裏腹な心のようにしか出てこないのです。
生活を健康にしようと思うなら、心を健康にしなくては難しいのです。心の健康とは、どう生きるか、どう考えるかです。それによって行動が違ってくるのです。
食についても、いのちの尊さがわからなければ一時しのぎの三日坊主で終わります。朝の目覚めもおはようの挨拶も、この、いのちへの感謝の心があるかないか、生きてるのか、生かされているのかでまるで違ってくるのです。
何度もくり返しますが、心臓も肺も自分が動かしてはいないのです。これは自然の働きです。太陽を照らし雨を降らせ、土をうるおす、いのちあふれる自然の恵みをありがたくいただくのか、頭だけ、理屈だけで食べるのか。それが「いただきます。ご馳走さま」に表現されます。日々の挨拶は生活の基礎、心の基礎、人間関係にまでつながります。
---------------------------------
(春野うらら )
« 本当のおいしいはなぜ生まれる? | トップページ | 34カ国400人以上の医師と科学者が「生物兵器ワクチンの国際医療危機」を宣言 »
« 本当のおいしいはなぜ生まれる? | トップページ | 34カ国400人以上の医師と科学者が「生物兵器ワクチンの国際医療危機」を宣言 »
コメント